



作家名 不詳
作品名 『加藤清正肖像画』
略歴 加藤清正(かとう きよまさ) 永禄5年(1562)~慶長16年(1611)
安土桃山・江戸時代前期の武将。尾張(愛知)の生まれ。幼名は夜叉丸、元服後は虎之助清正と称
した。幼少より秀吉に仕え、天正8年(1580)播磨国神東郡で百二十石を充行われる。その後、因
幡国鳥取城攻め、備中冠山城攻めなどで功績をあげたが、特に賤ヶ岳の戦での功績が大きく、七本
槍の一人として数えられる。これらの功績により近江・河内・山城国に三千石が充行われた。その
後、小牧・長久手の戦いに活躍し、従五位下主計頭に叙任する。朝鮮の役では1万の兵を率いて、
釜山、京城、会寧、兀良哈国まで侵攻した。虎狩りのエピソードはこの頃のものである。また、熊
本城の築城、新田開発・河川工事など建築や土木においても手腕を振るった。晩年は文芸や茶道を
好み、服部道巴と交友を深めた。清正は日蓮宗の熱心な信者としても知られており、遺骸は熊本の
本妙寺に葬られ、現在も日蓮宗信者の参詣のまととなっている。法名は浄池院殿永運日乗大居士。
価格 120,000円
詳細 紙本紙装丸表具
総丈 タテ156.5㎝ ヨコ47.5㎝
本紙 タテ96㎝ ヨコ41㎝
状態 ウブな状態のまま。本紙表具に傷、汚れあり。