日蓮宗一覧

No.Aー198田中智学



作家名 田中智学

作品名 一行書 「天壌無窮」

略歴  田中智学(たなか ちがく) 文久元年(1861)~昭和14年(1939)
   日蓮宗系の在家仏教運動者。江戸の生まれ。名は巴之助。号は巴雷。幼くして父母を喪い、一之江
   妙覚寺智境院河瀬日進のもとで得度し、智学と改称した。明治4年(1871)飯高檀林に入る。その
   後、日蓮宗大教院に進み新居日薩の薫陶を受けるも、肺炎に罹り退学する。同12年(1879)亡父の
   志を継ぎ、離宗還俗した。翌年横浜で蓮華会を結成、同18年(1885)東京に移り立正安国会を設立
   した。以降公開講演を開き、機関誌『妙宗』や『日蓮主義』、月刊誌『毒皷』、日刊『天業民報』
   など多数の刊行を行った。明治35年(1902)日蓮主義組織宗学「本化妙宗式目」を大成する。大正
   3年(1914)国柱会を設立、同12年(1923)立憲養正会を結成する。昭和3年(1928)国体読本『日
   本とはいかなる国ぞ』、同7年(1932)国紙『大日本』を刊行する。同10年(1935)『日本国体新
   講座』の刊行を開始した。また、同年国体運動のため満州国に渡り、満州国皇帝に「王道の本義十
   則」の講演を行った。著書には『仏教僧侶肉妻論』『妙宗式目講義録』『大国聖日蓮上人』のほか
   多数ある。

    保坂智宙(ほさか ちちゅう) 慶応2年(1866)~昭和15年(1940)
   日蓮宗系の在家仏教運動者、国柱会。江戸の生まれ。本名は麗山。号は建寅。7歳のとき日蓮宗貫名
   日温の門に入り、日蓮宗大教院に学ぶ。大教院在学中、田中智学の「龍口断刀論」を聴講して入門
   する。明治19年(1886)智学の講演「仏教夫婦論」を筆録し、以来智学の命を奉じて正法正義の弘
   通に精進する。また、立正安国会会務幹事を務め、本化宗学研究大会では科外講師に任ぜられた。
   国柱会常任統務の要職についてからは明治会講師として護法護国の運動に献身した。著書には『日
   蓮聖人の婦人訓』『聖典「兄弟鈔」解説』『本化妙宗・信行読本』がある。

価格 150,000円

詳細 国柱会保坂智宙による箱書あり。
   紙本絹装丸表具
   総丈 タテ195㎝ ヨコ46㎝
   本紙 タテ124.5㎝ ヨコ32.5㎝
   桐合箱

状態 少シミ、少オレ。箱一部欠損。

2025年04月04日

No.Aー170元政上人肖像画 日燈慧明賛、海北友賢画



作家名 日燈賛、海北友賢画

作品名 『元政上人肖像画』
    日燈賛「無辺衆生無頓惑 不度而度不断断 無盡法門無上覚 誓願而知誓願満 草山波羅蜜題
        □□」

略歴  元政(げんせい) 元和9年(1623)~寛文8年(1668)
   日蓮宗の学僧、漢詩人。京都の生まれ。諱は日政、日如、日峰。字は元政。号は妙子、不可思議、
   泰堂など。通称は深草の元政、草山和尚、草山元政。毛利家家臣石井宗好の5男。彦根藩主井伊直
   孝に出仕し、26歳で京都妙顕寺の日豊について出家する。33歳で山城深草に称心庵(瑞光寺)を
   営み隠棲した。内省自行を尊び、持病に苦しみながら法華律(草山律、本化律)を提唱して僧
   の復興を図り、後の日蓮宗教団に大きな影響を与える。また熊沢蕃山・石川丈山・北村季吟らと
   交流があり、自身も当代一流の詩人・歌人で、その詩文集『草山集』には高雅な秀作を収めている。
   著書には『草山和歌集』一巻、『元元唱和集』二巻、『身延道の記』一巻のほか多数ある。

    日燈(にっとう) 寛永19年(1642)~享保2年(1717)
   日蓮宗の僧。三河(愛知)の生まれ。字は慧明。号は波羅蜜。初め律宗の慈任について出家し、智
   岸と称した。その後、省我律師の紹介で京都瑞光寺の元政に師事する。元政の入寂後は瑞光寺を継
   承した。日燈は草山の忠実な祖述者であり、特に『草山清規』一篇は元政の遺風を法規とし、修行
   の心地および行儀を述べ、草山一門の修行の綱領とした。また、持戒持律に厳しく、常に求道の精
   神をもち、法華律といわれた草山の規範を整理し組織化をなした。晩年は微疾に罹り、「本有生死、
   無去無来、泰然坐了、妙法蓮台」の遺偈と和歌一首を書して入寂、世寿76歳。著書には『三大秘法
   弁』『宗門禁要』や『要路会註』『草山集抄』などがある。

    海北友賢(かいほう ゆうけん)
   名は正利。通称は瀧吉兵衛。友雪の門人。元禄15年(1702)祇園社に仁田四郎忠常斬猪図の額を
   画く。海北家においては、友雪の二男であると伝えられているが恐らくは養子であると思われる。

   元政上人の御姿を伝える新出と考えられる肖像画をここに御紹介申し上げます。
   元政上人のお姿については、青山嘉次郎著の『深草の元政』に「元政の容姿」の次の一文が掲載さ
   れています。元政上人の姉の春光院は、井伊直孝侯の側室であったことから、「諸侯の側室の美人
   たるべきは疑いないことで、その弟の元政上人の容姿が優しう麗しかったことは、こればかりでも
   想像せられる」、又「綺麗な剃頭であるから真に卵に目鼻を描いたやうな顔で繊い眉に所謂蒙古型
   の涼しい目、清く癯せて衣に耐へないやうな姿は婦人女子の如く」とある様な、まさにこの表現に
   ピッタリとあてはまるお姿を本画幅は伝えているものと言えます。

価格 お問い合わせください。

詳細 絹本着色絹装表具
   総丈 タテ171.5㎝ ヨコ43㎝
   本紙 タテ81.5㎝ ヨコ31㎝
   太巻き桐合箱

状態 水シミアリ。一部補絹アリ、補修の裏書きあり。

2024年10月08日

No.Aー166円中院日詺



作家名 日詺

作品名 法華曼荼羅

略歴  日詺(にちみょう) 明和6年(1764)~天保5年(1834)
   日蓮宗の僧。身延久遠寺第五九世。字は海鍊。号は円中院。生国、出家、師等については不詳。
   飯高檀林の二四〇世の講主を務めたのち、小湊誕生寺に進んだ。天保3年(1832)身延五九世を
   継ぎ、在位3年の間に位牌堂・通本橋を再建した。天保5年(1834)71歳にて遷化する。

価格 200,000円

詳細 紺紙金泥緞子三段仏表具
   総丈 タテ180.5㎝ ヨコ54.5㎝
   本紙 タテ97㎝  ヨコ37.5㎝
   桐合箱

状態 オレアリ。

2024年08月17日

No.Aー162山川智応



作家名 山川智応

作品名 御題目 「南無妙法蓮華経」

略歴  山川智応(やまかわ ちおう) 明治12年(1879)~昭和31年(1956)
   仏教学者。日蓮宗国柱会。大阪の生まれ。本名は伝之助。1歳のとき、山川家の養子となる。小学校
   四年まで水戸学、陽明学、仏教学を学び、14歳で田中智学の立正安国会に入る。19歳で小学教員試験
   に合格し、北野小学校に奉職した。明治32年(1899)智学の獅子王医院に入り、月刊誌「妙宗」の記
   者となり、智学から智応の名をもらう。智学の日蓮主義運動に参加する。国柱会講師、獅子王文庫学
   頭、立正大学講師を歴任して、昭和9年(1934)東京帝国大学から文学博士号を得た。著書には『和
   訳法華経』『日蓮聖人伝十講』『法華思想史上の日蓮聖人』など多数ある。

価格 350,000円

詳細 紙本絹装三段表具 軸先牙
   総丈 タテ189㎝ ヨコ44.5㎝
   本紙 タテ112㎝ ヨコ30㎝
   檜合箱

状態 少シミ、オレアリ。

2024年07月17日

No.Aー63本多日生



作家名 本多日生

作品名 法華曼荼羅

略歴  本多日生(ほんだ にっしょう) 慶応3年(1867)~昭和6年(1931)
   顕本法華宗の僧。妙満寺第259世。兵庫の生まれ。幼名は長次。諱は日生。字は聖応。号は聖応院。
   姫路藩士国友堅次郎の次男。本多日鏡・児玉日容に師事する。24歳で妙満寺派の教務部長となるが、
   その急進さの余り宗門追放となる。のち復帰し、明治38年(1905)管長となり、以後21年間宗門
   統制・布教伝道・社会教化に尽力。また、法華経中心の釈迦本尊論を唱えて独特な本多教学を構築
   し、田中智学とともに近代日蓮宗教団に大きな影響を及ぼした。
   著書には『大蔵経要義』『法華経講義』『日蓮聖人訓要義』等がある。開眼法要裏書あり。

価格 150,000円

詳細 総丈 タテ146.5㎝ ヨコ45.5㎝
   絹本 タテ52㎝ ヨコ34.5㎝

状態 極少シミ

2022年07月02日