




作家名 島道素石
作品名 句 「銀匙の ちりんと鳴りぬ あんこ鍋 素石□」
略歴 島道素石(しまみち そせき) 明治6年(1873)~?
俳人。大阪の生まれ。本名は勘四郎。正岡子規門。青木月斗らと大阪俳壇で活躍した。
俳誌『鶏』を主宰。また、小西来山の研究書『むしの声』(大5)の編者。
価格 23,000円
詳細 紙本揉紙表装
総丈 タテ197㎝ ヨコ25㎝
本紙 タテ122㎝ ヨコ22㎝
桐共箱
状態 少オレ、少シミアリ。
TEL.0743-56-3630
〒639-1116 奈良県大和郡山市伊豆七条町211-2
作家名 名和又八郎
作品名 一行書 「左準縄右規矩」 『孟子』離婁上の一節より
略歴 名和又八郎(なわ またはちろう) 文久3年(1864)~昭和3年(1928)
海軍軍人、海軍大将。福井の生まれ。旧姓は武久。号は若舟。名和荘山の養子となる。明治42年
(1909)呉鎮守府参謀長、同45年(1912)第3艦隊司令長官、大正3年(1914)教育本部長、同4
年(1915)第2艦隊司令長官、舞鶴鎮守府長官、同6年(1917)横須賀鎮守府長官、同9年(1920)
軍事参議官などを歴任した。また、出雲、厳島、生駒艦長を務める。日露戦争時には人事局主席
局員として海軍人事を司っていた。
価格 20,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ191㎝ ヨコ49㎝
本紙 タテ112㎝ ヨコ34㎝
状態 少オレアリ。為書アリ。
作家名 黒田清綱
作品名 和歌
「船眺望 古起出て 遠つあふみの 灘ゆけは 雲の波間尓 婦しの山見ゆ 正三位清綱」
略歴 黒田清綱(くろだ きよつな) 天保元年(1830)~大正6年(1917)
幕末・維新期の鹿児島藩志士、明治期の政治家、歌人。正二位勲一等子爵。明治維新では国事に奔
走し、慶応2年(1866)三条実美ら五卿を筑前大宰府に警固し、その活躍によって名を挙げた。明
治元年(1868)山陰道鎮撫総督参謀として西園寺公望総督に従い、翌年には鹿児島藩藩政改革で参
政に就任し、藩政刷新に努める。同3年(1870)中央政府に出仕し、弾正少弼、同4年(1871)東京
府大参事、同5年(1872)教部少輔となり、一時文部少輔を兼任した。同8年(1875)元老院議官と
なり、同20年(1887)子爵に叙せられる。その後、貴族院議員や枢密顧問官を歴任した。清綱は早
くから歌道を志し、八田知紀について学んだ。また、高崎正風の没後は明治・大正両天皇の和歌の
指導にあたり、滝園社を興して門弟の育成指導に力を入れた。嗣子に洋画家の黒田清輝がいる。
価格 35,000円
詳細 紙本絹三段表装、料紙墨流し金砂子散し。
総丈 タテ126㎝ ヨコ57.5㎝
本紙 タテ35㎝ ヨコ46㎝
状態 少オレアリ。
作家名 西沢笛畝
作品名 『土偶鶏』
略歴 西沢笛畝(にしざわ てきほ) 明治22年(1889)~昭和40年(1965)
日本画家、人形玩具研究家。東京の生まれ。旧姓は石川、名は昂一。別号に木槿庵、比奈舎、不退
居等がある。和田英作の媒酌で西沢家に入婿し、西沢姓と改めた。24歳のとき荒木寛畝の画塾に入
門し、寛畝なき後は、十畝に師事した。大正4年(1915)第9回文展で初入選し、以後も入選をつづ
け、昭和9年(1934)には第15回帝展の審査員を務める。また人形蒐集研究家としても知られてお
り、日本国内の人形玩具類を研究し、人形研究の権威として活躍した。財団法人人形文化の会、日
本工芸会の理事長、文化財保護委員会の専門委員を歴任する。昭和34年(1959)紫綬褒章を受けた。
著書には『雛百種』『人形集成』『うないの友』『日本郷土玩具事典』のほか多数ある。
価格 55,000円
詳細 紙本絹装三段表具
総丈 タテ195.5㎝ ヨコ35㎝
本紙 タテ24.5㎝ ヨコ20.5㎝
桐共箱
状態 シミアリ。
作家名 森田峠
作品名 句幅 「風船を持つ児軽々抱かれけり 峠□」
略歴 森田峠(もりた とうげ) 大正13年(1924)~平成25年(2013)
俳人。大阪の生まれ。本名は康秀。國學院大學国文科卒。昭和17年(1942)俳句を初め、國學院大
學在学中は俳句研究会に参加した。同19年(1944)岡安迷子に従って小諸にいる高浜虚子のもとを
訪れる。またこの時に虚子から峠の俳号を貰う。同年虚子選『ホトトギス』に初入選した。虚子の
兄である池内たけしや皆吉爽雨にも俳句を学び、同26年(1951)阿波野青畝に師事する。青畝主宰
の『かつらぎ』に加入後は長年編集長を務めた。平成2年(1990)には青畝より『かつらぎ』主宰
を継承し、また俳人協会顧問も務める。峠は師である青畝の句風を学び、平明温雅なうちに写生の
道を歩んだ。昭和61年(1986)句集『逆瀬川』で俳人協会賞、平成16年(2003)句集『葛の崖』
で詩歌文学館賞を受賞。句集には『避暑散歩』『雪紋』『牧開』、俳書には『青畝句集「万両」全
釈』『三冊子を読む』などがある。
価格 18,000円
詳細 紙本絹装三段表具 料紙金箔散らし
総丈 タテ123㎝ ヨコ50㎝
本紙 タテ33㎝ ヨコ47㎝
桐共箱
状態 良好。
作家名 高楠順次郎
作品名 一行書
「一花生五葉結果自然成 八葉峰中 雪頂順外子 押花」
菩提達磨撰『少室六門集』より
略歴 高楠順次郎(たかくす じゅんじろう) 慶応2年(1866)~昭和20年(1945)
大正・昭和期の仏教学者。広島の生まれ。幼名は梅太郎。号は篝村・雪頂。諡は宏学院釈順成。学生
時代は小林洵を名乗る。神戸の高楠家の養嗣子となる。ヨーロッパ留学中にオックスフォード大学の
マックス・ミュラーに師事、インド学、梵語学を学んだ。『大正新脩大蔵経』『国訳南伝大蔵経』の
出版や、『大日本仏教全書』の監修などに活躍、また仏教主義教育に傾注し武蔵野女子学院を設立、
東洋大学学長を務めた。昭和19年(1944)文化勲章受賞。
価格 80,000円
詳細 紙本絹装丸表具
総丈 タテ201㎝ ヨコ45.5㎝
本紙 タテ135.5㎝ ヨコ31㎝
状態 少シミアリ。
作家名 賀川豊彦
作品名 詩書
「一枚の最後に残ったこの衣神の為めには猶脱がんとぞ思ふ 豊彦 一九三一・二・三
原田先生」
略歴 賀川豊彦(かがわ とよひこ) 明治21年(1888)~昭和35年(1960)
牧師、社会運動家。兵庫の生まれ。4歳のとき両親と死別し、徳島県の賀川家にひきとられた。徳
島中学在学中にキリスト教宣教師H・W・マヤスに導かれ、明治37年(1904)に受洗した。明治学
院神学部予科を卒業後、神戸神学校に転校する。神戸神学校在学中から神戸の貧民街に住み伝道を
開始し、傍ら社会事業による貧困の解決に取り組んだ。トルストイの無抵抗主義、ヘンリー・ドラ
モンドやジョン・ウェスレーの思想に影響を受け、また岡山孤児院の石井十次、救世軍の山室軍平
より感化される。大正3年(1914)アメリカに留学し、プリンストンで神学の他に心理学・生物学
を専攻した。帰国後は労働組合運動による無産者の解放を重視し、鈴木文治らの友愛会に加盟した。
神戸市の川崎・三菱両造船所の労働争議をはじめ数多くの労資闘争の第一線で活躍した。社会小説
『死線を越えて』はそれらの記録であり、ベストセラーとなった。昭和4年(1929)日本基督教連
盟による「神の国運動」の推進者となり全国を行脚した。また、アメリカ、ヨーロッパ、インド、
中国などで伝道講演を行った。同15年(1940)反戦論を説いたとして渋谷憲兵隊に留置され、その
後もたびたび官憲の圧迫を受けた。第二次世界大戦後、東久邇宮内閣の参与となり、また社会党の
結成、新日本建設キリスト運動、世界連邦運動など多岐にわたる活動を続け、欧米諸国、ブラジル
などでも伝道講演を行った。その活躍からノーベル平和賞候補者に推薦される。文筆をよくし著書
百五十冊、翻訳書二十五冊に及んだ。代表的なものに『貧民心理の研究』、小説『死線を越えて』
『一粒の麦』、詩集『涙の二等分』『イエスの宗教とその真理』などがある。
注記 この為書の「原田先生」とは、日本橋教会牧師の原田友太のことと考えられます。
原田友太(1881~1946)の略歴を記すと、熊本県に生れる。熊本第五高等学校を経て、政治
家を志し上京、東京帝国大学に入学。学友杉田豊助に導かれて入信し、服部章蔵より洗受す
る。召命を感じ、帝大を中退して、明治学院神学部に入学し、1910年に卒業し、同年に日本
橋教会牧師に就任した。日本橋協会に36年間在職し現職のまま死去。明治学院神学部の同期
生に賀川豊彦、中山晶樹、高崎能樹らがいた。このことから、この作品は日本橋協会第5代牧
師(1910~1945)の在職中に賀川豊彦から与えられたものであることが知られます。
価格 180,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ110㎝ ヨコ73.5㎝
本紙 タテ37.5㎝ ヨコ63㎝
状態 少シミアリ。
作家名 川村景明
作品名 漢詩七絶
「粛々進軍宵巳闌 腥風悽惨撲征鞍 沙場百戦成功暁 三塊石山停馬看 明治丗七八年戦役
三塊石山夜襲所感 景明□□」
略歴 川村景明(かわむら かげあき) 嘉永3年(1850)~大正15年(1926)
陸軍軍人、元帥陸軍大将。鹿児島の生まれ。諱は景明。通称は源十郎。文久3年(1863)14歳のと
き、父に従って薩英戦争に従軍した。戊辰戦争に参戦後御親兵隊の軍曹となり、爾後累進して大尉
のとき萩の乱、ついで西南戦争に従軍した。近衞歩兵第一旅団長として日清戦争に出征する。戦後
近衞師団長北白川宮能久親王のもとで、台湾鎮定にあたった。日露戦争では、独立第十師団長とし
て大孤山から岫巌に作戦し、ついで第四軍司令官野津道貫大将の隷下に入って遼陽以後の会戦に参
加した。沙河の会戦における三塊石山の大夜襲の勝利は、彼の武功に数えられた。明治38年(1905)
大将に昇進。奉天の会戦には鴨緑江軍司令官として参加し、山地行動の苦労をもって偉功を奏した。
戦後東京衛戍総督となり、大正4年(1915)元帥府に列した。明治40年(1907)戦功により子爵を
授けられる。
価格 25,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ199㎝ ヨコ56.5㎝
本紙 タテ121㎝ ヨコ41㎝
状態 裏数ヶ所水シミ、表具少虫穴アリ。
作家名 宇野哲人
作品名 漢詩七絶
「千里鶯啼緑映紅 水村山廓酒旗風 南朝四百八十寺 多少樓臺煙雨中 宇野哲人□□」
『江南春』唐の詩人・杜牧の代表作
略歴 宇野哲人(うの てつと) 明治8年(1875)~昭和49年(1974)
中国哲学者。熊本の生まれ。字は季明。号は澄江。明治33年(1900)東京帝国大学文科大学漢学科
を卒業する。同36年(1903)東京高等師範学校教授となり、同38年(1905)清国・ドイツに留学す
る。大正8年(1919)東京帝国大学教授、昭和14年(1939)国立北京大学名誉教授、同20年(1945)
東方文化学院長、同24年(1949)実践女子大学長を歴任した。中国哲学、特に宋代の哲学を、西洋
哲学史の手法に学びつつ、儒学中心の立場で体系づけた。学風は穏健・平明であり、温雅で偏見の
ない人柄とあいまち、漢学界の長老といわれた。学位は文学博士。
著書には『孔子教』『東洋哲学大綱』『支那哲学概論』など多数ある。
価格 75,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ203㎝ ヨコ54㎝
本紙 タテ130㎝ ヨコ41㎝
桐合箱
状態 少シミアリ。
作家名 本庄繁
作品名 「報國志愈堅」
略歴 本庄繁(ほんじょう しげる) 明治9年(1876)~昭和20年(1945)
陸軍大将。兵庫の生まれ。号は青州、剣華。陸軍士官学校、陸軍大学卒。大正13年(1924)歩兵
第4旅団長、翌年支那駐在武官、昭和3年(1928)第10師団長、同6年(1931)関東軍司令官、同7
年(1932)軍事参議官、同8年(1933)侍従武官長、同11年(1936)予備役、同13年(1938)軍
事保護院総裁を歴任する。シベリア出兵に際して歩兵第11聯隊長(第5師団、歩兵第9旅団)とし
て出征、ウスリーおよびザバイカル方面での討伐作戦に参戦した。また、関東軍司令官の着任時
には板垣征四郎大佐(高級参謀)、石原莞爾中佐(作戦主任参謀)等の謀略により満州事変が惹
起、その指揮を執った。二・二六事件に際しては娘婿の山口一太郎陸軍大尉が反乱軍と気脈を通
ずる革新将校であったために本庄の立場を苦しいものにした。本庄は反乱軍に対する天皇の怒り
に接しひたすら恐懼した。敗戦後の昭和20年(1945)11月20日に自刃した。昭和8年(1933)~
11年(1936)の侍従武官長時に記した『本庄日記』は現代史の貴重な資料とされている。
価格 42,000円
詳細 紙本絹装三段表具
総丈 タテ113.5㎝ ヨコ34.5㎝
本紙 タテ26.5㎝ ヨコ23.5㎝
桐合箱
状態 少シミアリ。
作家名 後藤貞行
作品名 『馬図』
略歴 後藤貞行(ごとう さだゆき) 嘉永2年(1850)~明治36年(1903)
明治時代の彫刻家。紀伊和歌山藩士の家に生まれる。陸軍軍馬局などにつとめ、かたわら高村光雲
に師事する。馬の彫刻を得意とした。明治23年(1890)東京美術学校(現・東京芸大)雇となり、
馬の生態に詳しい後藤が「美術解剖」の授業を担当。次の担当が陸軍軍医学校教官の森鷗外であっ
た。同31年(1898)岡倉天心の辞職に伴い美術学校を辞める。光雲のもとで「楠公像」の馬、「西
郷隆盛像」の犬を制作した。
価格 お問い合わせください。
詳細 この作品は絹本に背影や松を岩絵具で日本画風に画き、馬の筋肉や血管の筋、たてがみを丁寧に
よりリアルに画く為に西洋画の顔料を用いています。
絹本着色絹装丸表具
総丈 タテ190.5㎝ ヨコ66.5㎝
本紙 タテ124㎝ ヨコ49.5㎝
状態 表具虫食い、軸先片方欠。
作家名 濱口雄幸
作品名 漢詩七絶 「千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風 南朝四百八十寺 多少楼臺煙雨中 空谷□□」
『江南春』唐の詩人・杜牧の代表作
略歴 濱口雄幸(はまぐち おさち) 明治3年(1870)~昭和6年(1931)
大正・昭和時代に活躍した官僚出身の政党政治家。高知の生まれ。号は空谷。幼少の頃より勉学に
励み学業はいつも優秀な成績を修めていた。安芸郡の豪農であった濱口義立の養子となる。東京帝
国大学卒業後は、大蔵省に就職し専売局長官、逓信次官、大蔵次官を歴任した。田中内閣の総辞職
後、内閣総理大臣に就任した。濱口内閣の掲げる「十大政綱」は戦前の政策としては前後の内閣と
区別される特色をもつ。とりわけ対中国親善、軍縮促進、金解禁などに尽力する。昭和5年(1930)
東京駅で愛国社社員佐郷屋留雄の狙撃により重傷を負う、翌年治療を続けるも放線菌症のため逝去
した。
価格 20,000円
詳細 紙本絹装丸表具
総丈 タテ151㎝ ヨコ43㎝
本紙 タテ67㎝ ヨコ32㎝
桐合箱
状態 少シミ、オレアリ。
作家名 川村驥山
作品名 漢詩 「治家以動倹為先 恃衆以謙和為首 酉寅之秋 驥山慎□□」
略歴 川村驥山(かわむら きざん) 明治15年(1882)~昭和44年(1969)
日本の書家。静岡の生まれ。名は慎一郎。号は二葉のち驥山と改める。別号に酔仏居士、酔驥、長
嘯庵主人がある。幼少の頃より父東江に書道、漢学を学び、さらに太田竹城や岡田良一郎に漢学を
学ぶ。13歳の時、明治天皇銀婚式典に楷書孝経、草書出師表を暗書して天覧の栄を賜り神童と称さ
れた。明治37年(1904)長崎晧台寺の霖玉仙について禅学を修業する。大正の初め内閣賞勲局文書
課に勤務した。日本書道作振会・泰東書道院の審査員をつとめ、昭和6年(1931)には文化使節とし
て中国に渡る。東方書道会を結成、日本芸術院賞、長野文化功労賞を受賞する。昭和40年(1965)
勲三等瑞宝章を受け、同44年(1969)従四位に叙せられた。驥山の書は楷書は鐘繇風、草書は狂草
に妙を得ている。
価格 80,000円
詳細 紙本絹装丸表具
総丈 タテ188.5㎝ ヨコ45.5㎝
本紙 タテ137㎝ ヨコ33㎝
桐合箱
状態 シミ、オレアリ。
作家名 山田寒山
作品名 『墨竹寒山詩』
賛「有鳥五色文 棲桐食竹實 徐動合禮儀 和鳴中音律 昨來何以至 為君暫時出 儻聞絃歌聲
作舞欣今日 大正三年秋日興来漫心此図並題寒山詩 寒山田潤□□」
略歴 山田寒山(やまだ かんざん) 安政3年(1856)~大正7年(1918)
明治・大正時代の日本の篆刻家。愛知の生まれ。名は潤子。字は白王。号は寒山。曹洞宗の僧侶で
あったが18歳の頃、小曾根乾堂を訪ね、24歳で福井端隠の門に入り芙蓉派の篆刻を学んだ。明治30
年(1897)清国に渡り呉昌碩に師事する。荒廃していた蘇州寒山寺の住職となり、同寺の復興と夜
半の鐘の新鋳に尽力した。また、伊藤博文や尾崎紅葉らと親交があった。篆刻のほかにも詩・書・
画・楽焼にも秀で、その活躍ぶりは多岐にわたる。とりわけ富益斎著『印章備正』の刊行、蘭台、
荃廬、蔵六・椿処と丁未印社の結成等、斯界に残した足跡は大きい。作品集に『羅漢印譜』がある。
価格 60,000円
詳細 絹本絹装丸表具 軸先紫檀象牙
総丈 タテ217.5㎝ ヨコ52.5㎝
本紙 タテ149㎝ ヨコ37㎝
桐共箱
状態 オレアリ。
作家名 高楠順次郎
作品名 名号 「南無阿弥陀仏佛」
略歴 高楠順次郎(たかくす じゅんじろう) 慶応2年(1866)~昭和20年(1945)
大正・昭和期の仏教学者。広島の生まれ。幼名は梅太郎。号は篝村・雪頂。諡は宏学院釈順成。学生
時代は小林洵を名乗る。神戸の高楠家の養嗣子となる。ヨーロッパ留学中にオックスフォード大学の
マックス・ミュラーに師事、インド学、梵語学を学んだ。『大正新脩大蔵経』『国訳南伝大蔵経』の
出版や、『大日本仏教全書』の監修などに活躍、また仏教主義教育に傾注し武蔵野女子学院を設立、
東洋大学学長を務めた。昭和19年(1944)文化勲章受賞。
価格 600,000円
詳細 紙本新改装絹緞子上表具
総丈 タテ191㎝ ヨコ45㎝
本紙 タテ119㎝ ヨコ29.5㎝
桐合箱
状態 良好。
作家名 中川紀元
作品名 『墨画聖観音菩薩像』
略歴 中川紀元(なかがわ きげん) 明治25年(1892)~昭和47年(1972)
洋画家。長野の生まれ。旧姓は有賀。本名は紀元次。東京美術学校彫刻科に入学するが、ほどなく中
退。本郷洋画研究所、太平洋画会研究所で洋画を学び、石井柏亭や正宗得三郎に師事する。大正8年
(1919)~10年(1921)渡仏、マティスに師事。大正9年(1920)二科会展で樗牛賞、翌年二科会展で
「立てる女」などが二科賞を受賞。同11年(1922)「アクション」を結成。昭和5年(1930)六潮会を
結成、やがて日本画に転ずる。大正11年(1922)より文化学院、昭和4年(1929)~13年(1938)帝
国美術学校(現武蔵野美術大学)教授として後進の指導に当たった。昭和13年(1938)従軍画家とし
て戦地に赴く。同39年(1964)日本芸術院賞恩賜賞を受賞。
価格 100,000円
詳細 この作品は、箱書に昭和13年1月とあるところから紀元45才の作品です。
紙本 中縁白地唐草文緞子 総縁萌黄地団花文緞子 金軸 仏表具
総丈 タテ209㎝ ヨコ48.5㎝
本紙 タテ137.5㎝ ヨコ33㎝
桐共箱
状態 良好。
作家名 岡崎邦輔
作品名 和歌
「ゆみはりの 月も雲間に きらめきて 秋風さむし 長篠の原 邦輔」
略歴 岡崎邦輔(おかざき くにすけ) 嘉永6年(1853)~昭和11年(1936)
明治~大正時代の政治家・実業家。和歌山の生まれ。号は晩香。旧姓は長坂。国事に奔走していた
従兄伊達宗興・陸奥宗光らの感化を受けて成長。明治21年(1888)駐米公使となった陸奥に随って
渡米、留学した。同24年(1891)陸奥が代議士を辞任するとその補欠選挙に立候補するため岡崎左
衛門の家に入籍、被選挙権を得て、初当選を遂げた。以後紀州派の中心人物として陸奥の議会政略を
支援し、独立俱楽部を結成した。第4次伊藤内閣時には星亨逓信相のもとで官房長に就任した。犬養
毅、尾崎行雄らと護憲運動を起こし、護憲三派内閣の公約、普選法をめぐる貴衆両院の対立を調停、
同法成立に大きく寄与した。詩歌をよく好み『晩香歌集』岡崎邦輔遺稿同先生景慕会(昭和17年)が
ある。
価格 150,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ202㎝ ヨコ52㎝
本紙 タテ128㎝ ヨコ39.5㎝
桐合箱
状態 少シミ
作家名 陸奥宗光
作品名 徒然草から第三十八段『名利につかはれて』 第九十二段『或人、弓射る事を習ふに』
略歴 陸奥宗光(むつ むねみつ) 弘化元年(1844)~明治30年(1897)
明治時代の政治家・外交官。伯爵。和歌山の生まれ。幼名は牛麿。伊達陽之助、陸奥小次郎などと称
した。父は和歌山藩士伊達藤二郎宗広。幕末期に脱藩して坂本竜馬の知遇を得て海援隊に加わる。維
新後、外務大丞・大蔵省租税頭・元老院議官などを歴任したが、西南戦争時に西郷軍に通謀した疑い
で禁獄5年の刑を受ける。特赦後は欧米に渡り、駐米公使としてメキシコとの対等条約の締結に成功
する。第2次伊藤内閣時の外相では治外法権の撤廃を内容とする条約改正を実現したほか、日清戦争
の講和条約、三国干渉などの処理や議会対策に大きな成果を残した。著書には『蹇蹇録』がある。
価格 350,000円
詳細 紙本絹三段表装。箱書は宗光の従兄弟にあたる政治家岡崎邦輔(号は晩香)である。
総丈 タテ214.5㎝ ヨコ40㎝
本紙 タテ135㎝ ヨコ29㎝
桐合箱
状態 良好。
作家名 五代友厚
作品名 『墨竹画賛図』 賛「雨後中呼風」
略歴 五代友厚(ごだい ともあつ) 天保6年(1835)~明治18年(1885)
幕末~明治期の薩摩藩士・政商。薩摩(鹿児島)の生まれ。諱は友厚。幼名は徳助。通称は才助。雅
号は松陰。父は薩摩藩士五代秀堯。贈正五位、勲四等。明治維新後、外交官から実業界に転じ、政商
として活躍。大阪株式取引所・大阪商工会議所の創設、製鋼・貿易・銀行・鉄道会社の設立に尽力。
大坂経財界の重鎮の一人。
価格 250,000円
詳細 絖本絹装丸表具 明治5年37才、南都での作品。
総丈 タテ203㎝ ヨコ51㎝
本紙 タテ117.5㎝ ヨコ38.5㎝
桐合箱
状態 少オレアリ。
作家名 大石隆子
作品名 短歌
「日をあみて しみじみ母と かたりしに 春のおもひで なつかしきかな」
略歴 大石隆子(おおいし たかこ) 明治34年(1901)~平成13年(2001)
書家。東京の生まれ。尾上柴舟、丹羽海鶴に師事。日展特選・朝倉賞、文部大臣賞、日本芸術院賞
受賞。勲四等宝冠章受章。日展参事・読売展名誉会員・日本かな書道会参与・全日本書津連盟名誉
顧問・栴檀社主宰。
価格 85,000円
詳細 紙本絹装丸表具
料色小色紙
左 薄黄土色銀泥唐草牡丹文様 右 薄萌葱色金泥雁に流水文様
総丈 タテ117㎝ ヨコ50㎝
本紙 タテ14.5㎝ ヨコ26.5㎝
桐自題共箱
状態 僅かにシミがありますが、気にかからない程度です。
作家名 高楠順次郎
作品名 漢詩二行
「無筆而画者形影也 無脚而馳者感應也 八葉峰中雪頂 花押」
佐藤一斎『言志四録㈣ 言志耋録』(第121条感応の理七則その六)
略歴 高楠順次郎(たかくす じゅんじろう) 慶応2年(1866)~昭和20年(1945)
大正・昭和期の仏教学者。広島の生まれ。幼名は梅太郎。号は篝村・雪頂。諡は宏学院釈順成。学生
時代は小林洵を名乗る。神戸の高楠家の養嗣子となる。ヨーロッパ留学中にオックスフォード大学の
マックス・ミュラーに師事、インド学、梵語学を学んだ。『大正新脩大蔵経』『国訳南伝大蔵経』の
出版や、『大日本仏教全書』の監修などに活躍、また仏教主義教育に傾注し武蔵野女子学院を設立、
東洋大学学長を務めた。昭和19年(1944)文化勲章受賞。
価格 150,000円
詳細 紙本絹装丸表具
総丈 タテ201㎝ ヨコ45.5㎝
本紙 タテ137.5㎝ ヨコ33.5㎝
桐合箱
状態 美品
作家名 山本達雄
作品名 漢詩五絶
「一聲長在身 萬恨重經心 潤古清風起 至終涼月沈 達□□」
略歴 山本達雄(やまもと たつお) 安政3年(1856)~昭和22年(1947)
銀行家・政治家。大分の生まれ。号は竹溪。慶應義塾、三菱商業を卒業後、三菱会社に入り明治18年
(1885)川田小一郎の世話で日本郵船会社に移ってから同23年(1890)日本銀行に入った。第5代日本
銀行総裁を務めた後、大蔵大臣、農商務大臣、内務大臣を歴任。明治36年(1905)には貴族院議員に
勅選され男爵に叙された。昭和2年(1927)には立憲民政党の最高顧問となった。
価格 80,000円
詳細 本紙絖本、竹葉模様絹丸表具
総丈 タテ212㎝ ヨコ41㎝
本紙 タテ142.5㎝ ヨコ28㎝
桐合箱
状態 良好
作家名 末次信正
作品名 一行書 「誠信化人」
略歴 末次信正(すえつぐ のぶまさ) 明治13年(1880)~昭和19年(1944)
明治・昭和前期の海軍軍人。山口の生まれ。海軍大将、艦隊派(軍令派)の代表的人物。
末次操九郎の次男。海軍兵学校・海軍大学校を卒業後、海軍砲術学校第一艦隊司令部・軍令部に
勤務する。また、第一次近衞内閣の内務大臣も務める。日本海軍における戦術の理論家として
知られる。
価格 300,000円
詳細 紙本絹装丸表具、大阪府警察部長、徳島県・福島県知事を務めた荒木義夫の箱書あり。
総丈 タテ195㎝ ヨコ43.5㎝
本紙 タテ121.5㎝ ヨコ32㎝
桐合箱
状態 良好
作家名 大内青巒
作品名 『蘭図』自画賛
略歴 大内青巒(おおうち せいらん) 弘化2年(1845)~大正7年(1918)
仏教思想家。宮城の生まれ。諱は泥牛。通称は青巒。道号は巻之、号は藹翁・藹々居士・露堂。
曹洞宗照庵のもとで得度。原坦山、福田行誡に仏教を学ぶ。島地黙雷らの勧めで西本願寺21世大谷
光尊の侍講となる。『明教新誌』『江湖新聞』などを発刊。尊皇奉仏大同団・曹洞宗扶宗会などの
結成を通じて、仏教の大衆化、社会福祉、教育活動に尽くした。また曹洞宗布教の根本聖典とされる
『修証義』の原型を作る。著書には『修証義講話』『普勧坐禅儀詮要』『般若心経講話』等がある。
価格 20,000円
詳細 紙本紙装丸表具
総丈 タテ190㎝ ヨコ25㎝
本紙 タテ139.5㎝ ヨコ17㎝
状態 良好