作家名 賀川豊彦
作品名 詩書
「一枚の最後に残ったこの衣神の為めには猶脱がんとぞ思ふ 豊彦 一九三一・二・三
原田先生」
略歴 賀川豊彦(かがわ とよひこ) 明治21年(1888)~昭和35年(1960)
牧師、社会運動家。兵庫の生まれ。4歳のとき両親と死別し、徳島県の賀川家にひきとられた。徳
島中学在学中にキリスト教宣教師H・W・マヤスに導かれ、明治37年(1904)に受洗した。明治学
院神学部予科を卒業後、神戸神学校に転校する。神戸神学校在学中から神戸の貧民街に住み伝道を
開始し、傍ら社会事業による貧困の解決に取り組んだ。トルストイの無抵抗主義、ヘンリー・ドラ
モンドやジョン・ウェスレーの思想に影響を受け、また岡山孤児院の石井十次、救世軍の山室軍平
より感化される。大正3年(1914)アメリカに留学し、プリンストンで神学の他に心理学・生物学
を専攻した。帰国後は労働組合運動による無産者の解放を重視し、鈴木文治らの友愛会に加盟した。
神戸市の川崎・三菱両造船所の労働争議をはじめ数多くの労資闘争の第一線で活躍した。社会小説
『死線を越えて』はそれらの記録であり、ベストセラーとなった。昭和4年(1929)日本基督教連
盟による「神の国運動」の推進者となり全国を行脚した。また、アメリカ、ヨーロッパ、インド、
中国などで伝道講演を行った。同15年(1940)反戦論を説いたとして渋谷憲兵隊に留置され、その
後もたびたび官憲の圧迫を受けた。第二次世界大戦後、東久邇宮内閣の参与となり、また社会党の
結成、新日本建設キリスト運動、世界連邦運動など多岐にわたる活動を続け、欧米諸国、ブラジル
などでも伝道講演を行った。その活躍からノーベル平和賞候補者に推薦される。文筆をよくし著書
百五十冊、翻訳書二十五冊に及んだ。代表的なものに『貧民心理の研究』、小説『死線を越えて』
『一粒の麦』、詩集『涙の二等分』『イエスの宗教とその真理』などがある。
注記 この為書の「原田先生」とは、日本橋教会牧師の原田友太のことと考えられます。
原田友太(1881~1946)の略歴を記すと、熊本県に生れる。熊本第五高等学校を経て、政治
家を志し上京、東京帝国大学に入学。学友杉田豊助に導かれて入信し、服部章蔵より洗受す
る。召命を感じ、帝大を中退して、明治学院神学部に入学し、1910年に卒業し、同年に日本
橋教会牧師に就任した。日本橋協会に36年間在職し現職のまま死去。明治学院神学部の同期
生に賀川豊彦、中山晶樹、高崎能樹らがいた。このことから、この作品は日本橋協会第5代牧
師(1910~1945)の在職中に賀川豊彦から与えられたものであることが知られます。
価格 180,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ110㎝ ヨコ73.5㎝
本紙 タテ37.5㎝ ヨコ63㎝
状態 少シミアリ。