No.Aー173石橋誡道
作家名 石橋誡道
作品名 「無量壽」
略歴 石橋誡道(いしばし かいどう) 明治11年(1878)~昭和40年(1965)
宗学者、教育者。愛知の生まれ。号は大蓮社教誉信阿。道号は実行、碧水。明治21年(1888)浄土
宗西山派の長沢光用寺に弟子入りし、重松を誡道と改めた。のち貞照院の太田大信に師事し、同39
年(1906)浄土宗高等正科を卒業する。さらに進んで宗教大学研究科に学び、宗余乗を究めたが、
とりわけ野上海運・桜木谷慈薫について天台学を修め同42年(1909)卒業した。その後、東京小石
川光雲寺で、高野海音とともに『浄土宗全書』の編集に従事したが、内地留学生を拝命したため、
その職を辞し、成等庵に在留して勤息義城に師事し、天台学および宗乗を研究した。仏教専門学校
校長、尼衆学校教授、家政学園家政女学校校長などを歴任する。また、昭和20年(1945)大本山清
浄華院に晋董した。昭和5年(1930)権僧正、同13年(1938)巳講、同19年(1944)正僧正、同20
年(1945)准司教、大僧正、同25年(1950)司教、同26年(1951)勧学に叙せられた。
著書には『時代と宗教』『九品寺流長西教義の研究』『貞照院歴代上人略伝』などがある。
価格 55,000円
詳細 箱書には、昭和四十年一月浄華教誉書八十八とあるところから石橋誡道最晩年の作品であることが
知られる。
紙本絹装三段表具
総丈 タテ157㎝ ヨコ46㎝
本紙 タテ65㎝ ヨコ33㎝
桐共箱
状態 少シミアリ。