No.Aー176夏目漱石
作家名 夏目漱石画 ≪複製(手彩色)≫
作品名 『青嶂紅花図』
略歴 夏目漱石(なつめ そうせき) 慶応3年(1867)~大正5年(1916)
小説家、英文学者、俳人。江戸牛込馬場下(東京)の生まれ。名は金之助。俳号は愚陀仏。二松学
舎で漢文学を、成立学舎で英語を学んだ。その後、大学予備門科を経て、第一高等中学校本科(予
備門を改称)に進学した。学生時代の同窓生である正岡子規に漢詩や俳句などの文学上の影響を受
けた。帝国大学英文科卒業後は東京高等師範学校教師、東京専門学校講師、愛媛県尋常中学校教師
を歴任する。また、子規主宰の運座に加わり、熱心に句作するようになる。漱石は写生句に加えて、
漢詩・古典趣味の感覚的・絵画的な蕪村調が試みられた。さらに自己の内面を機知や洒脱をこめて
主観的に表出する暢達な句風に、独自性を示した。明治33年(1900)英国に留学、帰国後は再び教
職を務めた。同38年(1905)『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に掲載し、文名を得た。
同40年(1907)朝日新聞社に入社する。傍ら、小説の執筆を行った。大正5年(1916)病状の悪化
により『明暗』の執筆途中に自宅で死去した。終始句作を続け生涯にわたる俳句は二五〇〇句ぐら
いに達している。「人に死し鶴に生れて冴え返る」「菫程な小さな人に生れたし」「有る程の菊抛
げ入れよ棺の中」
著書には、『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』など多数ある。
注記 本画幅は、岩波書店所蔵の『青嶂紅花図』の複製品に桃とみられる紅花に手彩色を加えた
作品である。この作品の出所については、『漱石全集月報』に「津田青楓が手彩色した大
塚巧芸社版がある」ということから、この画幅はそれに相当すると思われる。
価格 380,000円
詳細 絹本絹装丸表具
総丈 タテ203㎝ ヨコ45㎝
本紙 タテ131㎝ ヨコ32㎝
桐合箱
状態 少シミアリ。